こんにちは、この所あまり更新をしていなかったストーンヘッド鈴木です。
ネタや書きたい事はいろいろあるのですが、それ以前にこの所、体調があまり良くなく、座っていても、まるで地震のように揺れているように感じたり、夜眠れなかったり、首の頚椎症の痛みが増してきて、眼球が押しつぶされるような痛みも感じるので→「分散収入ライフ」の投資分野だけ指値の注文をしておき、昼間横になっていたりといった日が続いています。
それでも日没後のウォーキングだけは雨が降っても続けています。
今日は体調不良でも続けたほうが良いことについて書きたいと思います。
ご自身や家族、友人等でうつ病や適応障害、頚椎症やヘルニアなど心身の障害で悩んでいる方の参考になればと思います。
以前、ストーンヘッドが適応障害で10日から14日ほど、ほぼ寝たきりだった事がありました。
夜眠れなかったのでメンタルクリニック(心療内科)へ通院と医師の診察の下、睡眠導入剤も服用していましたが、睡眠導入剤を飲んでも寝れないという事もしばしばありました。
また薬が抜けきるのが大体夕方の15時くらいでしたのでしたし、それ以降も適応障害の症状からか、フラフラしてしまい、まっすぐに歩くのもやっとこという事がありました。
特に寝たきりの際に、このままではどんどん筋力、持久力が落ちてしまうと思い、直射日光の無い、日没後になんとか家の近所を歩いてみました。
驚く事に僅か200-300m程度しか歩いていない、その程度しか歩けなかったのに、脛や足首などが下からハンマーで叩かれているような骨への痛みと、筋力、持久力の低下を実感しました。
寝たきりとその衰えのスピードに恐怖を感じ、体調不良だからといってこのまま寝たきりでは歩く事すらままならなくなると焦りすら感じました。
そこで、それ以降はムリをしないという事を大前提に、自分のペースで雨が降っても毎日30-60分ほど歩くようにしています。
60分というのは1日の実労働が8時間とすると、その1/8となる訳です。60分も連続しれ歩ける体力、持久力があればまずは十分ではないでしょうか。
もっとも、いきなり最初から60分というのはハードルが高いので、15分歩く事を7-10日ほど続けてから30分にしたり、15分を1日あたり日差しの強くない早朝、夕方、夜など数回に分けるなど、噛ませ犬的に小さい事で自信をつけながら気長に長期のスパンで取り組んで行く事が継続にも繋がり大切です。
歩く事は2本足で移動する人間の基本中の基本ですし、体力の維持にも繋がります。
また、途中でスーパーに寄ったり、昼間ならば近所の庭先や公園に咲いた花などを見る事により、気分転換や歩く事による適度な発汗、心地の良い疲れなど、薬に頼らなくても眠れる事に繋がるのではと思います。
1、実家でも通院はしたが、、、
世の中結果が全てですが、通院をしてもあまり改善は見受けらず、ゴールが見えないので治らないのではという不安と預貯金的にも焦りが出てきました。
そんな中で頚椎症が悪化してしまったり、ちょっと近場に出かけてもパニック障害が出てしまうようになりました。
頚椎症やパニック障害の私の症状と対策は以下の通りです。
2、頚椎症
もともと頚椎症で通院して首の牽引など治療をしていたこともあったのですが、在職中にヘルメットの上からとはいうものの、大きな工具などで容赦なく叩かれたり、時にはヘルメットなしでも素手て上から頭を叩かれた為か、首の頚椎症が悪化してしまいました。
主な症状としては以下があります。
-首の圧迫感(上から下に押さえつけられるような)
-首の痛み
-首や肩のコリ
-ひどい時は目の奥の痛み(眼球を鷲づかみされるような)
病院での治療は次の通りです。
-理学療法による首の牽引
-痛み止め(耐性が出来るのか、だんだん効かなくなります)
-ビタミン剤(血流を良くします)
-胃薬(痛み止め薬から胃腸を保護するため)
-ロキソニン(湿布)
-コルセット/カラー(鞭打ちの人が使用している首輪)
顎をコルセットに乗せると頭の重みを軽減できるので、首の圧迫感や痛みが少し和らぎますが、常に使用していると首を支える筋肉が落ちてしまい、常にコルセットが必要な悪循環になりかねないので必要最低限の使用が望ましいと医師から助言を頂きました。
分散収入ライフをしているものの、まだアルバイトやパートタイマーとして外で働いていないので、適応障害などの諸症状とあわせ、痛みがひどい時は寝ています。
寝て起きると痛みが和らいでいるパターンも多いです。
もちろん世の中、私よりも痛くても外でフルタイムで働いている方も多々いると思いますし、どこまでが甘えかという問題もあります。
身近で出来る対策として継続的にしているのは次の通りです。
-首や体をストレッチして血流を良くする
-首や肩のマッサージ
-低周波治療器
-シャワーやお風呂で首や肩を温める
-低反発の枕を使う ※1
-肌触りが良く、通気性も良い手ぬぐいなどで首を温める ※2
-寝返りはなるべくしない ※3
-肩や首を考慮してリュックサックやバイクなどのヘルメットはあまり身に着けない
-ベッドではなく、なるべく薄い敷布団(煎餅布団)で寝る ※4
※1:あまりに痛みが激しいときは枕ではなくバスタオルだけにする。
※2:特に冬。
※3:変形した骨の位置がズレてしまう為。
※4:クッション性が高いと変形した骨の位置がズレて神経に当たり、電気のような痛みが伴い、ひどい時は痛み止めやロキソニンの湿布も効かず、呼吸で肺が動くだけで激痛がしていたので。
あまりにも痛みがひどく、治療をしても改善が出来ない場合は手術も改善策のひとつですが、→「分散収入ライフ」の方法を取り入れ、パートタイマーやアルバイトとして無理の無いように勤務をし、残りの時間で通院をしたり、自宅で副業などの収入源とすれば、痛みが激しいときは少し仮眠をすることも出来ます。
つまり完治よりも頚椎症を受け入れ、分散収入ライフなどでうまくつきあって行く方法もある訳です。
私は完治ではなく、これらの方法を選択しました。
3、頚椎症で一番つらい事
なお、コルセット(カラー)をしていれば外部から頚椎症であることがわかりますが、そうでないと家族ですらなかなか症状をわかってもらえません。
これが精神的な痛みであり、頚椎症の一番つらいところではないでしょうか。
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1、診断の結果
日頃の疲れもあり、仮眠の後に内科に行ったのですが、急性胃腸炎ということで3-4日は休養が必要となりました。
(ちなみに当日は早退扱いではなく有給扱いでした)
私はてっきり医師の指示のもと、薬を飲んで安静にすれば治るだろうと思っていました。
ところが今振り返るとこれは数ヵ月後に発症する適応障害の予兆だったのかもしれません。
2、心身は叫んでいた?
これ以降、同様の症状は増してきて、今振り返るとそれはもう一人の私からの悲鳴とも受け取れるメッセージのようにも思えます。
実はこの前日にいつもと同様に早朝から現場に向かい下請けの職人さんと作業をしていたのですが、その職人さんも個性的というかクセがある方でどこまでが指導というものなのか私には最早わかりませんが、A4の分厚く重いバインダーで思いっきり頭を叩かれたのです。
(頚椎症で首が痛いということは伝えてあっても、そのような免罪符は意味が無く、容赦ありません。)
それは脳震とうを起こすくらいと言っても過言ではありませんでした。
他にもその日はほんの些細な事で「学校を出ているやつがなぜ中卒の俺に聞くんだ、仕事を馬鹿にしているんだろ!」
と物凄い剣幕で怒鳴られ叩かれることもあったので、さすがにそれは言い返しました。
なぜならいくらなんでも一方的過ぎたからです。
そして指導には指導の仕方、あるいは範疇というのもがあります。
3、上司ならば何をしても許されるのか?
上司や先輩は何をしても許されるそれこそ免罪符か何かを持っているのでしょうか?
新入社員といえど、私は奴隷でも何でもなく、法治国家で生活をしている社会人のひとり、会社員のひとりなのです。
こちらに非も無いのにあまりにも一方的に怒られる筋合いはありません。
そのときはかなりガンガンと言われました。
こちらもさすがに言い返してやりました。
むこうは一向に引きませんでしたが、一緒にいた課長はなぜか私を止めたのでした。
「お前黙って聞いていればいればいい加減にしろよ」と。
4、リストラ候補だった課長
なぜ課長はその職人さんをなだめなかったのかというと、
この課長はもともと営業をやっていて50台の半ばにして未経験のエンジニアへと転属となってきた方でした。
原理や現場でのやりかたなどまったく理解しておらず、客先から怒鳴られたことすらあったのです。
ですから、仕事が出来ない課長にとって損得勘定でどっち側についた方が得なのか判断をしたであろうことは明白でした。
5、根拠の無い暴言
職人Cからも「お前は裏切り者だ!俺たちを裏切ったんだ!こいつは裏切り者だ!嘘つきだ!」
と訳のわからないことで罵声と思いっきり叩かれました。
客観的に見ると、もしかしたら私の気づかないところで至らない言動があったのかもしれません。
要領も悪くセンスが無いのかもしれません。
しかし少なくとも今回は思い当たる節がありません。
さすがにそんなことをいつも言われるのは理不尽にも程があるので「裏切り者とはどういうことなのでしょうか?」と毅然とした態度で正々堂々と聞いてみました。
すると「おまえみてぇなバカには説明してもわからねぇよ」と叩かれたのですが、何故か話をすり替えてしまっているのです。
つまり私は裏切り者でも嘘つきでも無く、根拠が無いそのときのご機嫌次第だったのです。
もちろん相手は反抗をした、たて突き、宣戦布告をしたと受け取るでしょうからそれ以降何も教えてくれないことはこちらも承知の上です。
でもそれはもともと何も教えてなんぞくれなかったので結局どっちにころんでも同じだったのです。
この頃には独学で勉強していた原理が現場でも役に立ってきて、現場での対応も少しずつ自分で出来るようになってきました。
場合によっては少し自信も付いてきて、ベテランの職人よりも動作原理などには精通するようになりました。
それ故にあえて「たて突いてみた」ところもあります。
さすがに相手の言いたい放題、やりたい放題というのはどうかと思いますしからね。
こちらは生身の人間ですし、サンドバッグではありません!!!!
一方で元営業部の課長は相変わらず現場での仕事がまったくダメで新入社員の私に聞くくらいでした。
もっともこの課長も半ばリストラ候補社員だったのでしょう。
その年齢で未経験で畑違いの職種に転属となったのは、いやならば退職しろという暗示だったのでしょう。
6、折れたバネと労働の意味
もしかしたら既にその日、目に見えない私の心のバネは悔しさを反発するどころか、折れてしまっていたのかもしれません。
そしてもう行くのが嫌だと、、、
翌日(冒頭の)の極度かつ頻発する下痢はもしかしたらこうした精神的なことが影響しいたのかもしれません。
その日を境に、どんなに世の中の為になる仕事であっても、朝も早くから休みもほとんど無く働くことの意味や、暴力や暴言の状況下で働いていることの意味を自問自答するようになりました。
現代版の奴隷に過ぎないのではないだろうかと。(今は社畜という言葉がありますが)
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1、反面教師にしろとは言うが、、、
「ご指導」を頂くときは、理不尽とも言うべき、こちらが何かミスをしたという訳でもなく、ほとんどがその時のご機嫌次第でした。
もともと首が痛くて頚椎症で首の牽引や痛み止め(副作用でかなり眠くなります)やロキソニンなどの湿布もしていたので、耐えかねて「首が頚椎症なのでせめて頭だけは勘弁してください」と言ったところ、すれ違いの際にいきなり「てめぇ、ふざけやがって!」とプロレスのタイガーマスク並みのローリングソバット(廻し蹴り)を食らって思わずうずくまってしまうこともありました。
他の上司においても客先でのお客様への挨拶の際に「挨拶は腰からだろ、バカヤロー!」と私を蹴っておきながら、上司はお客様への挨拶どころか、しかめっ面でタバコを吸いながらコーヒーを飲んでいたのです。
また、ある時は私のその当時の仕事に直接関係は無いものの、他の社員と私を比較して「おめぇは英語もできねぇのかよ、俺なんか中卒でも出来るんだ!、おめぇみてぇはバカはいねぇよ」とさんざん怒鳴られこれでもかと叩かれました。
でも、ちょっと待ってください変ですよね。その当時の仕事には英語は関係なかったですし、「英語が出来ないからバカ」というのには合理性がまったく無いのです。
英語が出来なくても会社には何も損害を与えていないわけですし、むしろ会社という組織の中では大使館の治外法権ではありませんが、殴る、蹴る、罵声を浴びせ人格を否定するということをしても何も問題が無いのでしょうか?
2、問題社員の存在は会社側においてもリスク
世間一般では傷害や暴行で逮捕、名誉の毀損などにより管理監督責任のある会社や本人を相手に民事訴訟で慰謝料の請求もあり得るわけです。
(10年ほど前よりも現在の方が、社会問題化や訴訟に発展しやすく企業にとってパワハラなど問題社員の存在は会社経営を左右させる大きなリスクとなっています。)
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1、上司との出会いが全てのはじまり
どうして適応障害を発病したのか、発病までの経緯をさかのぼってみることにします。
私は学校を卒業し、とある小さなエンジニアリングの会社に入りました。(それでも一応上場企業の子会社なのですが)
エンジニアリングやエンジニアというと聞こえは良いですし、そもそもどんな仕事も仕事なのですが、そのエンジニアというのは言い換えるならば職人です。
しかし私の職場では良い意味での仕事に誇りを持った職人ではなく、陰湿というか悪い意味での職人の弊害的な要素が大きかったのです。
そこでの最初の上司Aがかなり”個性的”でした。
事の発端は全てここから始まり、悪夢の始まりだったといっても過言ではないでしょう。
この運命とも言うべき出会いが今後数年近く私の心身の不良に追い込むことにつながります。
上司Aの態度は会社内でも取引先でも下請けの間でも有名だったことを後から知りました。
つまり会社の経営層の役員達もAの人間性に問題があることは把握していたのです。
2、会社は上司を辞めさせない理由があった
詳しくは後述しますが、あることを理由に半ば目をつぶって泳がしていたのです。
兎に角、ことのあるごとに頭を叩かれ、それは人間サンドバッグといっても過言ではなく、罵声(怒鳴る)や暴言を他の社員や下請けの前でも容赦なく浴びせられました。
ヘルメットを被っていたとしても40-50センチくらいの工具で思いっきり叩かれたり、蹴られたりは「日常業務」の範囲でした。
今振り返ると、よくヘルメットが割れなかったと思うくらいでした。
蹴られたり叩かれた後に捨てセリフと言わんばかりによく「悔しかったらくやしさをバネにしろ」と言われました。
もっともバネにも限度があって、ある程度までは悔しさをバネに出来るでしょう。
ところが超えてはいけない一線を越えたレベルの負荷だと、バネは反発して戻るどころか折れて壊れちゃうんですよね。
設備のメンテナンス、つまり機械というのは割と精密な部分もあるのですが、それ以上に精密なのは実は人間なんです。
そして機械と違うのは部品の交換では済まなく、特に精神的な「故障」となってしまった場合は「修理」にとても時間や治療費やその間の生活費というお金が必要となります。
また治らずに「スクラップ」という「廃人間」と化してしまう可能性すらあるわけです。
3、社員が一人前になるには時間と経費が必要
企業としても新しく従業員を雇い、教育をして一人前に仕事が出来るまでには再度時間と経費を費やす事になる訳です。
もっとも経験者を中途で雇い、即戦力とする採用方法もあるでしょう。
しかし、経験者は業界内のネットワークや口コミなどで他社のことでも情報が入ってきたり過酷な労働環境の割には激安な給料からも異業種への転職が多いようです。
人が育たない風土(本人にセンスが無いのは別として)、あるいは問題社員(問題児)がいる会社というのは結局のところ会社にとってマイナス以外の何者でもないです。
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