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2017年3月25日土曜日

適応障害発病までの経緯3

1、なぜ上司Aのもとで仕事をしていたのか

理不尽なパワハラの事例などを挙げたらキリがありませんが、なぜその上司Aのもとで必死になって仕事を覚えようとしていたのかと言うと、先輩方や他の上司の方たちはあまり仕事のやり方(現場での進め方やトラブル対処方法、原理など)を教えてくれなかったのです。

もちろんそこはもう学校ではないことは十分承知の上です。
上司Aはかなり理不尽でしたが、それでも構造や動作の原理や設備の大切なポイント、トラブル時の対処方法を教えてくれたりもしたので、心身がボロボロになりながらも仕事のノウハウや構造原理などの方をとり、自分の心身を犠牲にして上司Aと一緒に仕事をしていたのです。

工業高校の機械科を出たわけでもない「素人」の未経験者でしたし、原理の本では現場での作業やり方、例えばこの部品はまだ使えるのか等はわかりません。
故に自分で個人的に勉強しつつもその上司Aにしがみついていくしかなかったのです。

休みはほとんどありませんでしたが、わずかな時間を使って個人的にも設備について昔のタウンページ程の厚みはあろう原理の本で勉強したり英語も勉強していました。
この原理は工業高校の機械科での内容というよりも大学の機械工学で学ぶような高度な専門書でした。
やさしい内容の本もあるのですが、やはり動作の原理などで行き着くところはこの専門書で、なぜそう作動するのか、例えばBという部品が動かなくなってしまった場合の想定される不具合などはこの原理をきちんと把握できていないと、現場でとっさの時に役に立たないのです。

また特にマニュアルも無い会社でしたので、少ない休みではありましたが、個人的に操作マニュアルや現場でのメンテナンスなどの仕方のマニュアルやメモを作ったり、まとめたりもしていました。


2、仕事自体は嫌いではなかった

仕事や原理を勉強することは自体はイヤではなく、面白くもあり、やりがいもあったのです。
もちろん上司たちが一方的に悪いという訳でもなく、私にも物覚えが悪かったり、要領が悪いという反省すべき点や能力(センス)の低さもあるでしょう。
とはいえ、やはり問題は上司Aやまわりの先輩方、他の上司の方たちでした。
つまりパワハラと人間関係といっても過言ではないでしょう。