広告

2017-03-25

適応障害発病までの経緯1

1、上司との出会いが全てのはじまり

どうして適応障害を発病したのか、発病までの経緯をさかのぼってみることにします。

私は学校を卒業し、とある小さなエンジニアリングの会社に入りました。(それでも一応上場企業の子会社なのですが)

エンジニアリングやエンジニアというと聞こえは良いですし、そもそもどんな仕事も仕事なのですが、そのエンジニアというのは言い換えるならば職人です。




しかし私の職場では良い意味での仕事に誇りを持った職人ではなく、陰湿というか悪い意味での職人の弊害的な要素が大きかったのです。
そこでの最初の上司Aがかなり”個性的”でした。
事の発端は全てここから始まり、悪夢の始まりだったといっても過言ではないでしょう。

この運命とも言うべき出会いが今後数年近く私の心身の不良に追い込むことにつながります。
上司Aの態度は会社内でも取引先でも下請けの間でも有名だったことを後から知りました。
つまり会社の経営層の役員達もAの人間性に問題があることは把握していたのです。



2、会社は上司を辞めさせない理由があった

詳しくは後述しますが、あることを理由に半ば目をつぶって泳がしていたのです。
兎に角、ことのあるごとに頭を叩かれ、それは人間サンドバッグといっても過言ではなく、罵声(怒鳴る)や暴言を他の社員や下請けの前でも容赦なく浴びせられました。

ヘルメットを被っていたとしても40-50センチくらいの工具で思いっきり叩かれたり、蹴られたりは「日常業務」の範囲でした。
今振り返ると、よくヘルメットが割れなかったと思うくらいでした。
蹴られたり叩かれた後に捨てセリフと言わんばかりによく「悔しかったらくやしさをバネにしろ」と言われました。
もっともバネにも限度があって、ある程度までは悔しさをバネに出来るでしょう。

ところが超えてはいけない一線を越えたレベルの負荷だと、バネは反発して戻るどころか折れて壊れちゃうんですよね。
設備のメンテナンス、つまり機械というのは割と精密な部分もあるのですが、それ以上に精密なのは実は人間なんです。
そして機械と違うのは部品の交換では済まなく、特に精神的な「故障」となってしまった場合は「修理」にとても時間や治療費やその間の生活費というお金が必要となります。
また治らずに「スクラップ」という「廃人間」と化してしまう可能性すらあるわけです。



3、社員が一人前になるには時間と経費が必要

企業としても新しく従業員を雇い、教育をして一人前に仕事が出来るまでには再度時間と経費を費やす事になる訳です。
もっとも経験者を中途で雇い、即戦力とする採用方法もあるでしょう。
しかし、経験者は業界内のネットワークや口コミなどで他社のことでも情報が入ってきたり過酷な労働環境の割には激安な給料からも異業種への転職が多いようです。

人が育たない風土(本人にセンスが無いのは別として)、あるいは問題社員(問題児)がいる会社というのは結局のところ会社にとってマイナス以外の何者でもないです。

社会不適合の目次へ戻る
次のページ「適応障害発病までの経緯2」へ進む


ブログランキング・にほんブログ村へ