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2017-03-26

適応障害発病までの経緯5

1、求人票と実際の労働状況とは大きく乖離していたが、、、

この仕事では就業規則上は朝9時から夕方18時まで、土日祭日は休みの年間125日の休日と求人票には書かれていましたが、実際は現場への移動のために朝5時集合というのはざらで、休みなんぞほとんどありませんでした。




ちなみに法と言うのはあって無い様な物なのか、出張などの移動は労働ではないので、朝5時に移動を開始しようが、これは労働ではないので、残業でもない訳です。

退職金やボーナスと同様に移動の手当て等は法律で定められている事ではないので、いくら支払おうが、支払わなくても法律的には何ら問題はなく、カラスの勝手、企業の勝手というのが現状です。

忙しいときは軽く2ヶ月は1日も休みが無く、残業は月当たり軽く120時間は越えていたと思います。(参考までに現在は月80時間の残業が過労死のラインとなっています。)

そして朝も5時など早く夜も0時くらいまでの時も多々あり、夜0時までで翌朝3時集合の時なんぞ、寝ずに現場に移動しなければならない訳です。

このような職場ですから、些細なことでもケンカというか立場が上の者が下の者にたいして半ばストレス解消とばかりにうっぷんを晴らすという悪い職場環境でどうやら上司や先輩たち自身もずっとそういった悪習のもとで仕事をしていたようです。

上司や先輩たちも、結婚して家庭を持っていたり、家のローンなど背負っているものを背負っていると、イヤでもなかなか辞めるという訳にもいかないでしょうし。(法律的にも人間的にも正しいかは別としてウサを晴らすことは出来る会社ではありますが)

もっともこのように朝も毎日のように早くから、そしてほとんど休みも無く、居眠り運転での事故や過労死してもおかしくないというのはもちろん会社としても社会的にも大きな問題です。



2、職場の人間関係が最重要

それでも先輩達や上司達とわきあいあいと楽しく仕事が出来ていたのなら適応障害にはならず、今でも継続して勤務が出来ていたと思います。
持って産まれた性格やセンスの低さもあるでしょうが、私の場合は適応障害となってしまったのは職場でのパワハラや人間関係が非常に大きな要素だったと思います。

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